今日はたまたま教授の都合で取っていた授業が休講になった。火曜日に取っている授業は1限のその1つだけで、その日はたまたまバイトのシフトも入っていなかった。
1限がなくなったら当然のように朝は思う存分寝て、ゆっくりと起きる。目を覚ましたのは10時過ぎ。さて、たまたま出来た休日、友達は他の授業があるからみんな大学に行っている。今日は何をしようかと思った時、ふと「動物園へ行こうかな」と思いついた。
季節は春、気候は外を出歩くのにちょうどいい。それと僕には写真を撮る趣味があり、ファミレスでバイトしたお金を貯めて買った、ゴツい一眼レフがある。今日はこれを持って動物園へ行こう。せっかくだしスケッチもしたいので、スケッチブックと一眼レフを財布や水筒と一緒にカバンへ詰め込んだら、結構な荷物になった。う〜ん重そう。まぁ重そうなのは良いとしても、デカいカバンってかわいいデザインのものが少ない。デカくてかわいいカバンってあんまり売ってない。いつもなにかしら荷物が多くなる僕としては、そこ結構困るんだよね。
せっかくピクニック気分で外に出るので、いつもより気合を入れてメイクして、お気に入りの春っぽい淡い色合いの服を出す。鏡の前でポーズをとったら、うん、結構かわいい。良い感じ。
自分にゴーサインを出し、動物園へ向かう。ほんの数駅だけど、普段大学へ向かうのと逆方面の電車に乗るのが、「お出かけ」の気分を加速させていった──。
動物園に入り、入り口近くの野原の広場の机とベンチがあるところへ腰掛け、コンビニで買ったパンとカフェオレを食べはじめる。天気も気温もちょうどよく、最高の気分だ。僕はそのまま動物園の動物をぐるっと見るべく、入り口でもらった園内マップを机に広げる。
「ほぉ〜」
思わずそんな声が出るくらい、色んな動物がいる。キリン気になるな〜でもここから結構遠いな。ここ廻るのはあとでいいかも。猿山…も結構好きなんだけど、里山の動物コーナーは結構奥のゾーンにあるみたいだ。たぬきやきつねもそっちの方か〜。ここから近いのは、えっと…
「極地館…?が一番近いな。極地館ってなんだろ。ここ行ってみるか〜」
色んな動物がいすぎて、僕は気になったところを全部廻るのに最善のルートを考えるのがめんどくさくなった。パンとカフェオレを食べ終わった僕は、荷物を片付け、極地館へ向かった。
「あ〜極地館って、北極と南極の生き物がいるのか。なるほどなぁ…」
段々極地館へ近づくにつれ、その外側に、ホッキョクグマやペンギン、ゴマフアザラシなどの写真が大きくプリントされているのが見える。そこで僕はようやくその意味を理解した。
「ペンギンの模様って…スーツみたいだよなぁ…」
歩いてるうちに大きくプリントされているペンギンの写真が段々近づいてきて、ふとそんなことを思った。白と黒で構成された胴体は、まるでピシっとスーツを着ているように見えた。
5歳の頃、僕はピアノを習っていた。ピアノの発表会で、黒いスーツを着なさいと言われた。僕はそんなのは嫌だった。女の子はみんな、ふわふわしたスカートで、カラフルな色使いの、かわいいドレスを着る。髪にお花だってつけて、とっておきのかわいい格好でピアノを弾く。それなのになんで僕は黒いスーツに蝶ネクタイをつけてピアノを弾かなきゃいけないんだ。僕だってかわいい色の綺麗なドレスが着たい。
そう言って駄々をこねる僕に、母親は困った顔で、「でもね、男の子はみんなスーツなんだよ。男の子はスーツを着なきゃ。」と言ってくる。僕はそんなの全然納得できなかった。でも5歳の子供がいくら駄々をこねても、いつだって決定権は親の方にある。僕は結局黒くて地味なスーツを着て、人前でピアノを弾いたのだった。
小学校へ入るときも、やっぱり僕は「ピンクのランドセルがいい!」と言って、親を困らせた。「でもね、男の子は黒とか…青とかどう?緑もあるけど…かっこいいでしょ?」そう言ってくる母親に、「やだ!かわいくないもん!!ぼくピンクがいい!」と言って、お店の床に転がって泣いて喚いた。でも結局お金を出すのは僕じゃないから、僕は黒くてかわいくないランドセルで6年間小学校へ通った。愛着が持てなくて雑に扱ったせいで、僕のランドセルは他の子よりもボロボロだった。
昔のことを思い出しながら入り口へ向かうと、なんだか少しくさい臭いがする。なんだ…?と思ったら、カタカナのコの字型になっている極地館の、入り口と出口の間、コの内側の空白の部分に、ペンギンの水槽があった。ペンギンが出られない高さのガラスで覆われてはいるが、上部はネットがあるだけで開け放たれている。なるほど、ペンギンの臭いか…。
その水槽は階段で5段くらい下がったところから見られるようになっており、岩場部分と水の中の部分、両方が見られる造りになっていた。水槽の中をまっぷたつに切ってそこにガラスを張ったかのような造りで、ペンギンが泳いでいるところが真横から見られる。
大抵の動物園は、周りに岩場があり、真ん中に水槽があることが多い。水槽の中を泳いでいるペンギンを真横から見られるのは、結構珍しい気がする。
なんだっけこのペンギン…結構よく見る…と思ったら、近くのパネルに「フンボルトペンギン」と名前が書いてあった。そうそう、そんな名前だった。
「わ〜めっちゃペンギン泳いでる…すご…」
そんなふうに小さくひとりごとを言ってしまうくらい、ペンギンはびゅんびゅんと水槽の中を泳いでいる。思ったより速い。ペンギンって地上をよちよち歩いているイメージがあるけど、水の中だとこんなに速いんだ…。
素早く水槽の中を泳ぎ回るペンギンは、地上を歩いている姿から想像出来ないくらい、力強く、美しく見えた。
僕はもうあの頃とは違う。今は大人の入り口に立って、自分でバイトしたお金で好きな服を買って、好きな格好をして過ごしている。別にスカートを履いて大学へ行ってもいいし、メイクしてひとりで動物園へ来てもいい。ドレスを着たければドレスだって着られるし、誰にもそれを止める権利はない。
それだけのことを出来るようになるのに、何年かかったんだろう。ただ僕は昔からかわいいものが好きで、かわいい格好がしたかっただけなのに。黒よりピンクの方がかわいいから、ピンクのランドセルがいい。学ランよりセーラー服の方がかわいいから、セーラー服が着たい。それだけだったのに。
もしかしたら、周りの人は空を飛ぶのが得意で、僕は水の中を泳ぐのが得意だった、それだけのことなのかもしれない。ペンギンが空を飛べないからって、それを責める人は誰もいない。その分ペンギンは、水の中を飛ぶように、美しく泳げるのだから。
そう思ったら、なんだかペンギンもかわいく見えてきたな。白黒でかわいくないな、もっとカラフルなインコとかのがかわいいな、と思ってたけど。よく見たらペンギンもかわいいかも。
「売店でぬいぐるみでも買って帰ろっかな〜♪」
なんだかスキップしてしまいそうな気持ちだ。まだ閉園までたっぷり時間はある。今日はいい1日になりそうだ。
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