「え〜みなさん、明日から夏休みですが、羽目を外しすぎないように…」
担任の先生が色々とどうでもいいことを言っているのを、ぼんやりと聞く。
体育館での学校集会が終わり、それぞれのクラスでのホームルームも終わり、いよいよ帰るだけになった。明日から待ちに待った夏休みだ。クラスのみんなは、これからはじまる夏休みに思いを馳せ、キラキラとした顔で教室から出ていく。夏休みどこ行く?私はね〜家族で旅行に…とか、友達とプールに…とか、女子たちがそんな会話をしているのが聞こえてくる。そんな中俺はまだ教室から出られずにいる。
「タイガ〜!お前そんなとこで突っ立って何してんの?帰んないの?」
話しかけてきたのは友達のよっちゃんだった。
「よっちゃん〜いや、帰るんだけど、まぁ、うん…ぼちぼちな…」
「ぼちぼちって何?一緒に帰ろうぜ!この後カナタんちでみんなでゲームやろうぜって話しててさ〜タイガも来いよ!」
「いや…うん、まぁ行きたいんだけど…」
俺が煮え切らない返事しか出来ないので、よっちゃんは段々俺の態度が不審になってきたらしい。
「何、なんかあった?ダイジョブ?」
真正面からそう聞いてきた。そうされたら俺も正直に答えるしかない。
「実は…
お道具箱と、上履きと、鍵盤ハーモニカ、あと朝顔と習字セットと絵の具セット、図工の作品と、宿題、教科書、リコーダー、置き傘、部活のやつ、あとプリントも溜めたやつ…
これ全部、今日持ち帰らないといけなくて……」
「はぁ〜〜!?え、何、タイガ、少しずつ持ち帰ってなかったの!?バカなの!?」
よっちゃんは大袈裟に呆れたポーズをして、デカいため息をついた。それはそう。よっちゃんの言う通り、俺が悪いんだ。先生は「最終日に大変にならないように、少しずつ持ち帰ってくださいね。」って何度も言っていたし、実際に周りのクラスメイトたちはみんなそうしていた。俺だけだ。めんどくさいからって全部を後回しにした。俺はいつもそうだ。
これを一人で持ち帰るのなんて無理すぎる。学校と家は俺の足で片道30分の距離がある。何往復もするのは厳しい。そしてよっちゃんの家は俺の家から近い。
「よっちゃん…俺が悪いのは分かってるんだけどさ…」
「何…ヤな予感するな〜 どうせ手伝って欲しいって言うんでしょ。嫌だよぼく。ぼくはちゃんと計画的に持ち帰ってたんだからさ。」
「頼む!持ち帰るの手伝ってくれ!」
俺は頭を深く下げ、手だけ高い位置にあげて手を合わせるポーズをした。そしてそのまましばらく動かなかった。よっちゃんが「え〜」とか「でもさ〜」とかぶつくさ言っているが、ここで動いたら俺はこの大荷物をひとりで持ち帰らないといけなくなってしまう。俺が悪いんだけど、それだけは嫌だ。俺が悪いんだけど。
しばらく同じポーズで動かずに「頼む…」「頼むよ〜」「よっちゃんしかいなくてさ…」と言っている俺を見て、よっちゃんは大きくひとつため息をついたあと、小さく「分かったよ…手伝うから。」と言ってくれた。
「うわ〜マジさんきゅな!助かるわ!さすがよっちゃん!俺にはよっちゃんしかいないわ!」
「タイガの言葉って軽いんだよなホント…感謝してよ〜?」
よっちゃんはそう言いながら苦笑いして、「どれとどれとどれ持ち帰るんだっけ?」と言いながら俺の荷物をかき集めはじめた。ありがたい。
すでにみんな帰って俺とよっちゃんしかいない教室から、俺たちふたりはまだ小学生の小さな身体に見合わない、笑えるような大荷物を抱えて、帰り道へ向い歩き始めた。
「暑い…暑すぎる。肩も痛い。よっちゃん…ちょっと休憩しよ?水筒のお茶飲んでもいい?」
「はぁ〜!?タイガの荷物でしょ!?ありえないホント…さっきから何回止まったと思ってんの?何回も休憩するより、さっさと家着いてからゆっくりした方がいいでしょ!?こんなんじゃカナタんちでゲームすんの間に合わんじゃん〜ホントマジでさ…ホント…」
よっちゃんは怒っているが、その声は小さい。当たり前だ。この暑さの中、この量の荷物を抱えて歩いているのだから。お互いへとへとに疲れている。すまんよっちゃん…俺のせいで…
「やっべ、トイレ行きたい…」
「はぁ〜!?さっきから何回もお茶飲むからでしょ!ほらようやくここまで来たんだから、あとちょっと頑張るよ!」
よっちゃん…すまんな…俺はいい友達を持ったなぁ……涙が出そうになる。
「よっちゃん…」
「何!?」
「愛してるよ……」
「タイガお前本当…都合いいんだよなお前…言葉軽すぎ……そういうのはいいからさっさと歩いて!ほら!」
ガシっとお尻を蹴られる。やべ。もれそうになる。
「も、もれそう…」
「マジでやめろお前!ここでもらしたらもう友達やめるからな!あとちょっとだから!がんばれ!」
よっちゃんに急かされながら、俺たちはふたりで夏の昼過ぎの住宅街を歩く。田舎だから向こうの方に山が見えて、青空が高く澄んでいる。空には入道雲がもくもくとそびえ立っているのが見える。だんだんふたりとも黙りはじめて、その分セミの大合唱が耳に入ってくる。
白飛びする夏の日差しの中、大荷物を抱えた俺たちは、黒い歪な怪物のようなシルエットになる。このまま自分ではなくなって、夏の中に溶けて消えてしまうんじゃないかと思った。
ガチャッ!
「うぉ〜〜〜トイレトイレトイレ」
鍵を回し家へ入った俺は、抱えてきた荷物を廊下に投げ出して、一目散へトイレへ向かう。
「タイガ…ぼくも…その…トイレ貸して欲しいんだけど……」
俺が用を足している外からよっちゃんの声がする。声だけでもじもじしているのが分かる。
「ちょっと待って!うぁ〜〜〜」
長い時間我慢していると、その分出すのにも長い時間がかかる。いつも不思議だなと思う。
「あ〜い、出たよ!」
俺がトイレから出ると、よっちゃんは何も言わず光の速さでトイレへ入っていった。実は結構我慢してたらしい。
しばらくしてよっちゃんもトイレから出てきた。
「ふぁ〜間に合ったぁ…」
手を洗っているよっちゃんを見つめたあと、俺は後ろから抱きついた。
「わっ!何!?」
俺は極力低い声を出しながら言う。
「よっちゃん…愛してるよ……」
「お前さぁ…普通にお礼言えないのかよ…」
「マジ助かった。ありがとな。」
「それだよそれ。ホントだよマジで…」
俺は本当にいい友達を持ったなと思う。
「いいよもう…さっさとカナタんち行こ!」
よっちゃんが自分の分のランドセルを持ち上げながらそう言う。
「わ〜った!どっちが先に着くか競走しようぜ!負けたら罰ゲームな!」
俺はそう言ってランドセルを持ち、廊下を走って急いで玄関に向かう。
「はっ!?お前、ちょ…待てよ!!」
ふたりで玄関を飛び出し、俺は急いで鍵を閉めて、ふたりでカナタの家へ向かって走り出す。
さっきまであんなに重い荷物を抱えていたのが嘘かのように、身体全体が軽い。夏の暑い日差しの中に飛び出した俺たちは、羽が風に飛ばされるかのように走る。空は高く晴れていて、図工で使う絵の具みたいに青い。その中を飛行機雲がぐんぐんと伸びているのが、視界の端にぼんやりと映る。
そうか、明日から夏休みか。
今日何度も思ったことを、改めて思う。
明日から夏休み。夏休みがあれば、なんだって出来る、なんだってしていい。目の前に広がる無限の可能性にくらくらして、俺の足はますます速く動く。
多分罰ゲームは、よっちゃんがすることになるだろう。
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