こんにちは。渡邊野乃香(Misskeyではoi汰)です。
今回はちょっと自分の中で気付いたことを書こうと思い、このブログを書いています。そんなに長くならないはず。
結論からざっくり言うと、自分にとっての創作の楽しみは、「作品の全てを自分で支配する楽しみ」でもある、という話です。
前提として
多分ほとんどの方は私のこと知ってる上でこのブログを読んでらっしゃるかな?と思いますが、そうじゃない方もいるかもなので、ちょっとした自己紹介をしておきます。
- ほぼほぼ一次創作しかやらない
- イラストを描くのが創作活動のメイン。透明水彩で描くアナログ絵描き。
- 他にもデザイン、DTM(作曲)、手芸(市販の型紙ではないもの)、立体、作字、小説を書く、短歌…等、頻度は少ないものの創作物全般に色々手を出しまくっている。
- 絵は子供の頃からずっと描き続けており、高校の美術部→美大受験→美大のデザイン科卒、そこから数年…で今
これくらい分かってれば多分事足ります。
考え始めたきっかけ
自分が「作品の全てを自分で支配出来るのが自分にとっての楽しみなんじゃないか」と気付いたきっかけは、実は絵描きの集団の中ではなく、おとすきーという音楽系Fediverseサーバー内でのことでした。
絵描きの集団の中にいると、「AI生成の創作物が増えすぎて色々な面で問題視されている」ことって絵や写真・動画などのグラフィック面が印象深くなってしまうかもしれませんが、実は音楽も今そうで。人間が作るよりクオリティの高い生成物が、指示1つで出来てしまう…という状態になっています。
それを歓迎するか、はたまた忌避するか、どう受け取るかは人によると思うんですが。私はそもそもDTMに関してかなり初心者なので、多分AIの作曲レベルはとっくのとうに私を追い抜いてると思うんですね。比べものにならないくらいAIの方がレベル高い気がします。私は抵抗あって自分からAI生成のものを見にいくことはないんですが、それでも耳に入ってくるものはもう私と比べられるレベルではなく…
そうすると、「じゃあなんで自分で作曲するのか」という話になってくるんです。出来上がったものだけを見るなら。でも私は下手でも、レベル低くても、自分で作曲したいんですよ。それはなぜか…と考えたときに「自分で作る楽しみとは、自分で全てを決める楽しみなんじゃないか」と思ったわけです。
それの一部みたいな考えをおとすきーで呟いたとき、「わかる」みたいな絵文字がちょこちょこついて、やっぱ同じこと思ってる人いるんだな…と思ったのを覚えています。
創作において、創作者は支配者である
例えばAIに「猫がテーマのかわいい曲作って」と言ったら、猫がテーマのかわいい曲が出来ると思うんです。でもそこで「ここの音程CじゃなくてDがいいんだけど」とか、「こことここだけ半拍開けたいんだけど」とか、「ここの歌詞とここの歌詞が関連してて、ここにはこういう経験を元にして生まれたこの単語を入れたいけど、それをこっちで展開させたくて…」とかをやろうとした途端、「じゃあ自分で作った方が自分のやりたいこと出来るじゃん」になるわけです。
タイトル詐欺になるので次は絵の話を持ちだしますが、私中学生の時の修学旅行先が関西だったので、美術の授業で「仏像をリサーチしてまとめよう」みたいな時間があったんですね。
今でも覚えてるんですが、私は弥勒菩薩(みろくぼさつ)の絵を描いたんです。で、弥勒菩薩の像って、すっごいささやかな微笑みを浮かべているんですよ。アルカイックスマイルってこういうのであってるんかな(なんもわからん。違ったらごめん)。うっすら微笑んでいる。
この像を描こうとした時、鉛筆の下描きではこの表情がすっごく上手く描けて、おお〜!うまくいった!と思ってかなり嬉しくて。そのままペン入れして下書きを消したところ、なんか…自分の中で「失敗した」と思ってしまった。何が失敗したかというと、口の、上唇の影の形が、下書きとほんの少し、1mmかもしれないし、0.5mmかもしれないけど、下書きとほんの少しだけズレたんですよ。それだけで表情の見え方が全く変わってしまって、自分が写したかった像とは違ってしまったんです。多分私以外の人は誰も気にしてなかったけど、自分の中では違いがはっきり分かって、かなりがっかりしました。
自分が失敗したと思った絵でも、美術の先生にはすごい褒められて、「後輩に見せる参考作品にしたいから譲って欲しい」と言われて。自分では失敗したと思ってるので全然譲りますよと思い、歯がゆい気持ちのまま譲ってしまったんですが、あれは「ほんの少しのズレが仕上がりに多大な影響をもたらす」というのを実感する良い経験でした。
そういう!そういう細かい部分で創作物って出来てるわけです。で、自分で作ると、その細かい部分を、全部自分の好きに出来るわけです。自分でオーダーメイドを作れるわけで、それが「創作物を自分で支配出来る楽しみ」だと思っています。
ここの点を1mm右にずらしてもいいし、ここのリボンを赤から青に変えてもいいし、ケーキの上に猫が乗っててもいいんですよ。
自創作キャラにかわいい服着せてもいいし、世界設定を0から作ってもいいし、魔法があってもいいし、女の子が太陽になってもいいし、自分の個展で自分が作曲したBGM流してもいい(実績解除済)んです!
よく「これからなんにでもなれる、未来あるもの」の例えに「真っ白いキャンバス」が出てきたりしますが、その真っ白いキャンバスに、何を描こうが、何色を塗ろうが、全部自分が好きにしていいわけです。作品に対しては創作者は王であり、神であり、支配者であるんです。あっていいんです。自分の作品だから。(クライアントワークとかはまた別の話になります)
支配欲って生き物に向けたらダメですが、創作活動には向けていいんです。すべて私の思い通りだぜ…ふはははは……!!
思い返せば、私は「自分の作品に、他人の手が入る」ことが、昔から嫌いでした。
子供の頃
親が美術教師だったため、子供の頃から美術館へ行くことが度々ありました。美術館って子供向けのワークショップをやってることも多く、当時5歳前後くらいだった私は(別に自分がやりたいわけではなかったけど)美術館内のとある部屋一室の床と壁全面に紙を貼り、そこのなかでどこでも好きなところに絵を描いていいよ、その時展示をやってたアーティストと一緒に描こうね、という子供向けのワークショップに参加することになりました。
部屋の中全面に紙が貼られているわけなので、どこからどこまでが誰のスペース、とかはなく、大勢の子供がいろんなところに絵を描くわけです。私も比較的余裕があるスペースに絵を描いてたんですが、当然ですが、他の子供が自分の描いた絵の近くに別の絵を描いてきたり、なんなら「一緒に描こ」ってちょっと被せてきたりするわけです。それがめっっっっちゃ嫌で。ここは私のスペースだ!こことここにはこれを描く予定だったのにお前が先に別のものを描いた!何してくれてんだ!!と思ってしまい、かなりふてくされたのを覚えています。
受験生時代
これデッサンの実技ありで美大・芸大受験する人なら誰しも通ってきてると思うんですが、デッサンって最初はうまく出来ないんですよ。「見たものをそのまま描く」。それだけのことが、みんな最初は上手く出来ないから、何枚も何枚も描いて上手くなって、それで受験で受かったり落ちたりするんですが…
で、上手く描けないとどうなるかというと…。赤ペンじゃなくて鉛筆だけど、赤ペン先生ですよ。私が何時間も描けて描いていた絵を講師の先生が見にきて、「ここちょっと歪んでるんじゃないか〜?」「ここはこうした方がいいぞ」と言って、練り消しでササっと消して、正しい線を描いて去っていくんです。これが…めっちゃ嫌だった……っっっ!!!!!
「時間かかるかもだけど、口で指示してくれたら自分で直すから、手を入れないでくれ……っ!!」と思っていました。そんなこと言ってられないので我慢してましたが…。ここはデッサンで受験したいなら耐えるしかないんですが、でも心の中ではめっちゃ嫌だなと思ってました。そんなこと言ってられないんですが…。でもこの気持ち分かってくれる人もいるはずだと思っています。
料理までも
私は実家暮らしをしていて、週何日、何曜日から何曜日は誰々の担当ね、と私たち姉妹の中で夕飯作りが当番制になっており。
私が作った料理に、知らない間に具材が足されていた…みたいなことがちょこちょこあり。すべてやったのは姉だったんですが。これもなんか嫌だった。
私の作ったスープには入っていなかったえのきが、次の日スープを見たら入ってたりする。私の作った肉野菜炒めには入っていなかった長ねぎが、次の日には入ってたりする。それが…嫌だった…自分の作ったものに他人が何かを足すというのが嫌だった…!!
「入れないで」と言っても「なんで。別にいいじゃん」と言われてしまい、そこで理由を明確に説明できないので黙るしかなく、結局姉が勝手に具材を入れるのは終わらないまま姉は家を出ていったのですがが…。
「そんなことまで」と思われるかもしれませんが、実際に「嫌だな」と思ってしまったので、私にとって料理も「自分の作ったもの」として創作物カウントなのかもしれません。
まとめ
エゴイズムと言えばエゴイズムかもしれないなぁとは思います。でもそれが許されるのが創作の楽しさだよな、とも思います。
自分が絵を描くのが好きでよかったなと思っています。これを人間に向けてたら怖いので…。
自分の作った作品が好きかどうかってクリエイターそれぞれ色々あると思うんですが、私は自分の絵が好きです。めっちゃいい!素敵!最高!あんたがNo.1!と思っています。それもやっぱり「自分の好きな要素」が自分の作品の中に詰まってるから…というのと、まぁ当たり前ですが「自分が作ってるから」という自己愛の部分の2つは絶対にあると思っています。そしてその2つは自分で作ることでしか得られないのじゃ…
というわけでまだまだ作り続けていきますよ…!
最後に注釈
今までのは全部「自分が好きで描いてる自主制作での話」になります。私は一応デザイナー・イラストレーターとしてご依頼をいただくことも度々あるので、その時は「クライアントの見たいものを作る」ことを意識して制作しています。そこは自主制作とは全く違うスイッチになりますね。このスイッチを切り替えるのが得意な人、不得意な人、色々いるかと思いますが、私は結構得意な方です。
イラストもそうですが、デザインとなると余計に「作家性」はあまり求められず、「実用性」の方が求められたりするので、そこら辺はご期待に添えるように自分なりに頑張っています。
「ほんまか」と思われるかもしれませんが、自主制作においての喜びが「創作物を支配出来る喜び」だったとすれば、ご依頼作品の喜びは「クライアントに喜んでもらえる喜び」だと思うので、喜びの種類が違えば取り組み方も変わりますよね…という感じです。種類が違うだけで喜び自体はどっちにもあるので、私はどっちをやるのも好きです。
あと絵描き仲間やクリエイター仲間の人たち!「こいつ人と一緒になんかやるの嫌いらしいから、一緒に創作する企画に誘うのやめようぜ」とか思わないで!待って!いかないで!!
さっき出した「自分の作品に他人の手が入ることが嫌だった」の例、読み返してもらえれば分かりますが、「自分の意図しないところで、不意に他人から自分の創作物に手が入れられる」のが嫌だっただけで、「最初から合作(などの一緒に創作するプロジェクト)をやるよ〜!という前提で持ちかけられて、一緒に創作する」のは出来ます!ホントです!信じてください。そういう前提で話が進んでいるものは歓迎なので…。そういう予定じゃなかったものに突然他人から手が加えられるのが嫌なだけです。
高校生の頃は美術部だったんですが、立体制作物の学年内の合同制作がメインの、美術部にしては珍しい結構ガチめの美術部で。その頃はゴリゴリに他人と一緒にひとつのものを作っていたので…デカいオブジェとか…
というかクライアントワーク出来てる時点で信じてもらえると嬉しいです。ダイジョウブダカラ…オイデ…コッチダヨ……
なので何かあったら誘ってください。イラスト系のもそうだし、曲と絵のコラボとかやってみたい気持ちはあるので…なにかあればね。
というわけで
なんか最初の方だけで言いたいこと全部言っちゃったんじゃないか…後半いらなかったんじゃないか…とか思わんでもないですが、いらんことダラダラ書けるのがブログの良さなので、まぁこれでヨシです。書きたいこと書き切ったので、これで終わります。通常運転。
共感してくれる人が0ではない…!はず…!と思ってますが、どうでしょうか。感想など聞けるととても嬉しいです。
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それでは今回はこのへんで失礼します〜〜!あ〜ばよっと!!

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